2007年04月17日
夢のような夜(営火編)
野営法研究会の回想である。
夕食の後、夜のセッションとして「営火について」という学習項目があった。
昼のセッション終了時にスケジュールの確認にあわせて、夜のセッションでは「スタンツをグループで1つやって下さい。」との課題が出されていた。
グループのスタンツはさておき、その内容は実際に営火を行い、その内容を体感するとともにスタッフの動きをよく観察して欲しいという趣旨であった。
私は研修所に行っていないので、このような講習で行われる営火の王道は知らない。だが、私がスカウトだった頃の隊長が一生懸命教えてくれた事の中に営火のスタイルの重要性があった。そして、今回の講習での営火は正にその時を彷彿とさせるもので、一気に時間が戻ったかのような錯覚に陥った。
静と動、歌と話し、そして火や自然への畏敬の念。参加者のスタンツはともかく、非常に質の高い営火だったといって間違いないであろう。
それは、考え方によっては当然である。各隊の隊長やリーダーたちに教えるための営火なので、半端なものを言い訳ながらに見せられても困るのである。
ファイアキーパーもいたのだろうが直接手を出す事は無く、点火の後は営火終了まで順調に燃え尽きて行った。
エールマスターをはじめとするスタッフのゲームやスタンツには感心するしか無く、非常に学ぶ所(思い出す所)が多く、有意義であった。
翌朝にスタッフの方と話している中で
「こういった講習をした直後は、皆さんもの凄くやる気になってくれるんです。でも、少し時間が経ったり、実際の現場に直面するとほとんどできないものなんです。」
とのことだった。これは意外である。
なぜ出来ないのかを訪ねて納得した。
「それはスタッフの出し物ではなく、見ている隊員たちの質が違うのです。当然私たちは色々試してきた中で最善のネタを出します。しかし、それ以上に参加されている皆さんが必至になって見ていて、精一杯楽しもうとしているから営火の質が高くなるんです。」
「多くの人たちが、まずは今回の内容をそのまま試してみたい、とおっしゃるんですが、実はそれが一番難しいんです。だから私たちは、いつも”これは一つの例です。このままやる必要はありません”と言っているんです。」
とおっしゃった。
つまり、どんなに優れた内容を計画しても、隊員たちの心を引きつけるエールマスターでなくては、上っ面を真似ただけでは無理なのだと教えられたのである。
確かに今の隊員たちは、営火の意義を正しく知らないであろう。
今風に言えば「教えられていない」からだと思う。それは更に、教えてもらうと言う程の回数の野営をしていないからだ。
何度も昔話をすれば、私の頃は4月から10月の間、2ヶ月に1度は1泊キャンプの集会を行っていたし、ゴールデンウィークや秋の連休には目一杯(2泊や3泊)のキャンプを実施していた。参加率も良かったと記憶している。これに夏の長期野営を加えれば、年間4〜5回の営火を行うことができる。1年の活動の中で営火についても「振り返り」「反省と修正」を行って次につなげる事ができるのである。
結局は場数であり、スタンツやゲームは「ネタ」の奪い合いである。
何度考えても、私は隊員としては恵まれた環境にあったのだと思う。
その時は気がつかなかったが、講習を終えて営火の炎を思い出すにつけ、あの夢の中のような営火を思い出す。
いつか当団の隊員たちにも、こういった「良質の営火」を体験させてみたい。
夕食の後、夜のセッションとして「営火について」という学習項目があった。
昼のセッション終了時にスケジュールの確認にあわせて、夜のセッションでは「スタンツをグループで1つやって下さい。」との課題が出されていた。
グループのスタンツはさておき、その内容は実際に営火を行い、その内容を体感するとともにスタッフの動きをよく観察して欲しいという趣旨であった。
私は研修所に行っていないので、このような講習で行われる営火の王道は知らない。だが、私がスカウトだった頃の隊長が一生懸命教えてくれた事の中に営火のスタイルの重要性があった。そして、今回の講習での営火は正にその時を彷彿とさせるもので、一気に時間が戻ったかのような錯覚に陥った。
静と動、歌と話し、そして火や自然への畏敬の念。参加者のスタンツはともかく、非常に質の高い営火だったといって間違いないであろう。
それは、考え方によっては当然である。各隊の隊長やリーダーたちに教えるための営火なので、半端なものを言い訳ながらに見せられても困るのである。
ファイアキーパーもいたのだろうが直接手を出す事は無く、点火の後は営火終了まで順調に燃え尽きて行った。
エールマスターをはじめとするスタッフのゲームやスタンツには感心するしか無く、非常に学ぶ所(思い出す所)が多く、有意義であった。
翌朝にスタッフの方と話している中で
「こういった講習をした直後は、皆さんもの凄くやる気になってくれるんです。でも、少し時間が経ったり、実際の現場に直面するとほとんどできないものなんです。」
とのことだった。これは意外である。
なぜ出来ないのかを訪ねて納得した。
「それはスタッフの出し物ではなく、見ている隊員たちの質が違うのです。当然私たちは色々試してきた中で最善のネタを出します。しかし、それ以上に参加されている皆さんが必至になって見ていて、精一杯楽しもうとしているから営火の質が高くなるんです。」
「多くの人たちが、まずは今回の内容をそのまま試してみたい、とおっしゃるんですが、実はそれが一番難しいんです。だから私たちは、いつも”これは一つの例です。このままやる必要はありません”と言っているんです。」
とおっしゃった。
つまり、どんなに優れた内容を計画しても、隊員たちの心を引きつけるエールマスターでなくては、上っ面を真似ただけでは無理なのだと教えられたのである。
確かに今の隊員たちは、営火の意義を正しく知らないであろう。
今風に言えば「教えられていない」からだと思う。それは更に、教えてもらうと言う程の回数の野営をしていないからだ。
何度も昔話をすれば、私の頃は4月から10月の間、2ヶ月に1度は1泊キャンプの集会を行っていたし、ゴールデンウィークや秋の連休には目一杯(2泊や3泊)のキャンプを実施していた。参加率も良かったと記憶している。これに夏の長期野営を加えれば、年間4〜5回の営火を行うことができる。1年の活動の中で営火についても「振り返り」「反省と修正」を行って次につなげる事ができるのである。
結局は場数であり、スタンツやゲームは「ネタ」の奪い合いである。
何度考えても、私は隊員としては恵まれた環境にあったのだと思う。
その時は気がつかなかったが、講習を終えて営火の炎を思い出すにつけ、あの夢の中のような営火を思い出す。
いつか当団の隊員たちにも、こういった「良質の営火」を体験させてみたい。
Posted by blue_serow at 23:47│Comments(0)
│野外